北摂で柴犬くんと暮らす日々

暮らしの中で気づいたことを書き綴る日記です。

少しばかりの手作りジャーキー

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家で人間が食事をするとき、その前にドッグフードをあげて、柴犬くんが辛い思いをしないようにしてはいます。ただ、それでもやはり、恨めしそうに人間を見つめることがあります。

犬なんだから、人間と同じ食べ物を食べるわけではないとか、犬用フードが犬にとっては栄養的にベストなんだということはわかっています。でも、犬にとってそれが本当に良いのかなぁと思うこともあります。

体調を崩して食欲がないワンちゃんに、肉や野菜を茹でたものを与えると食べ、その後も、固形フードを嫌がるというのはよく聞きます。犬にもちゃんと味覚があるんですよね。

人間だって、健康に良くないと知りつつ、酒や揚げ物、砂糖たっぷりのケーキをいただきますし。

それに、昔は当たり前だったことが、今ではありえないことになることは往々にしてあります。

例えば、NHKで放送している時代劇「あきない世傳 金と銀」は江戸時代の商家のお話で、「おなごし」と呼ばれる女中がでてきます。丁稚は男なので子供であっても人間とみなされるのに対して、女中は大人になっても人間とはみなされません。主人の食事中は、部屋の入口で正座をして待っています。(※ちなみにこの作品には柴犬があざとかわいくでてきますよ。)

また、映画「ビリー」では、黒人女性ジャズシンガーのビリー・ホリデイが、苦境から立ち上がり、人気歌手になります。しかし、人気絶頂の1930年代において、まだまだ米国には黒人差別がありました。ステージが終わって、バンドマンがレストランで食事をしても、ビリーはレストランにすら入れないことがありました。

このように、権利がアップデートされて、「犬の固形フードは当たり前」だったのに、いつの日か「犬だけ固形フードなんてありえない」なんて日がくるかもしれません。

水上勉氏の小説「土を喰らう」では、5月に筍の話が出てきます。生家は竹に囲まれていたのに、自分たちの土地ではなかったため、地主からは筍を1、2本わけてもらうだけでした。「どこの戸をあけても、藪じゅうが筍だらけなのに、生つばを呑んで暮らした5月の、あの他人の藪の眺めは一生わすれていない。」とあります。

柴犬くんも「人間だけ美味しいものを食べて、この気持ちは一生忘れない」とか思っていたらめっちゃ嫌だなぁと思い、せめてもの気持ちとして、人間の食事終了後には、少しばかりの手作りジャーキーをあげています。