北摂で柴犬くんと暮らす日々

暮らしの中で気づいたことを書き綴る日記です。

映画「PERFECT DAYS」

今日はアメリカのアカデミー賞の発表がありました。日本からは3作品がノミネートされており、「きみたちはどう生きるか」が長編アニメーション賞、「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞をとりました。

残念ながら「PERFECT DAYS」は賞を取りませんでしたが、とてもいい映画だったので、もしまだ見ていない方がいらっしゃったら、ぜひ映画館に足を運んで欲しいと思います。音楽が良くて、映像が美しいので、映画館で見るのがお勧めです。

この映画はドイツ人のWIM WENDERS監督の作品です。見終わった後、あまりにも、エキゾチズムを感じさせず、違和感がなかったので、ひょっとして、名前貸しなのではないかと疑ったほど、日本人にしっくりきました。

私は、WENDERS監督の作品では、「パリ、テキサス」は好きだったんですが、「ベルリン・天使の詩」は、何度見ても途中で寝てしまい、最後まで見たことがなかったので、今回もあまり期待していなかったのですが、とても良い映画でした。

映画を見終わった後、あまりに気に入ったので、何十年かぶりに、映画のパンフレット(¥1,100)も買ってしまいました。WENDERS監督の作品リストもあるし、映画の中に出ていた本のこともちゃんと載っているので、購入して正解でした。

なぜこんなに、日本人に違和感のない映画を撮れるのか謎だったのですが、YOUTUBEの公式動画を見て、その謎が解けました。監督は、「主人公が僧侶のようだ。」と言っているのですが、監督自身の佇まいが、禅僧のようです。

 


www.youtube.com

映画のストーリーは、独り暮らしのおじさんが、東京渋谷のトイレ掃除の仕事をしながら、淡々と暮らすというものなのですが、毎日、風呂屋に入ったり、好きな小説読んだり、飲み屋で一杯だけ楽しんだり、内向的な人にとっては理想の暮らしかもしれません。

主人公が、朝起きて見る空、昼休憩の時に見る木漏れ日、家で育てている植物たちが、とても美しく、映画を見た次の日は、私も空を見て、大きく息を吸い込みました。

また、主人公が通勤の時にカセットテープ(!!)で聞く、ロックミュージックが最高!やっぱLou Reedいいですね。

この作品の撮影期間は16日間とのことで、俳優は全て日本人、しかもセリフは日本語という状況の中ですごいです。ビジネスだけではなく、芸術の世界においても、ドイツ人の生産性は高いということなのでしょうか。

監督の鋭い感性、そしてそれに対応できる優秀な俳優たちによって、成し遂げられたのでしょうね。役所広司さんの最後のシーンで、監督は「台本には泣くと書いてあるし、泣いて欲しいけど、泣かなくてもいい。」と仰ったそうです。それであの印象的なシーンになったのかと思うと、そりゃ、役所さんが、カンヌで主演男優賞を獲ったのも当然ですね。

ニホンオオカミのはく製

「犬の祖先はオオカミ」というのを考えると、いつも不思議な気がします。ヒトを襲うこともある、狂暴そうな狼が、人間の手によって、チワワやダックスフントに進化するなんて、まるで魔法のようです。

しかし、柴犬くんに関していえば、結構、狼の片鱗を、垣間見ることがあります。例えば、救急車の音を聞いて、「わお~ん」と遠吠えをしたり、骨付き肉をむしゃぶりつき、恐ろしい速さで骨をかみ砕いたりするときです。「そうやんな、キミの先祖はオオカミやもんな」と納得してしまいます。飼い主でさえ、牙をむかれると、怯んでしまいます。

ところが、今日、ニュースで、「ニホンオオカミかもしれない」はく製を見て、ビックリしました。

ニホンオオカミ、めっちゃ、かわいい!

中学1年生の子が、「国立科学博物館収蔵のヤマイヌの一種とされていたはく製が、実はニホンオオカミではないか」とする論文を発表したというニュースです。小学4年生のときにピピッときて、それから専門家とともに研究して、論文にまとめたそうです。

 

www3.nhk.or.jp

もちろん、小学校4年の子どもが、こういうことに気づいたのもすごいですが、その気づきを大事にして論文に仕上げるまで育んだ環境もすごいなと思います。さすが、つくば、文化レベル高いです。素晴らしい教育ですね。

そして、国立科学博物館所蔵ということは、研究者が保管していたわけですが、それでも、まだ誰も気づいていないことがあったなんて、ロマンがあります。まだまだ研究の余地があるなんて、子どもたちに希望を託す話です。

で、話をもとに戻して、柴犬くんの先祖は、どんな狼だろうと思っていましたが、このニホンオオカミだとすると、あんまり進化していないというか、結構原型とどめてるなと思いました。日本固有の馬は小さいと聞いたことがありますが、狼も小ぶりなんですね。ヨーロッパやアメリカの狼とはずいぶん違う印象です。

ピアノ練習はつらいよ

4月に人前でピアノを弾くことになり、練習を重ねています。

しかし、先週、師匠の前で上手く弾けず、自分でもビックリしました。原因は明らかで、頭が痛くて体調が悪かったのです。

その時に何が起こったかというと、今までミスしたことがないようなところで、音を間違う。で、「ヤバい!」と思って、弾き直そうと、素早く楽譜を見て和音の音譜を確認して、もう一度弾く。でも違う音が鳴る。そして、もう一度弾いても、やっぱり別の音がする。

こんなことってあるんですね。普段は、スラスラッーと無意識に弾いている部分なので、改めて弾こうと思っても、弾けなかったんです。

その後、上手く弾けなかったことがトラウマとなって、なかなかその曲を弾く気にならなかったのですが、今日弾いてみたら、普通に弾けました。ほっと一安心です。

なぜあの時、弾けなかったのか考えてみたのですが、もしかしたら、身体の軸がブレて、指の距離感が掴めなかったのかもしれません。

自分の身体が思うようにならないという感覚は、少し怖いです。

まぁ、それとは逆に、何故か音の感覚が鋭敏になって、とてもうまく弾ける日も、ごくごくまれにですがあります。その仕組みを解明できれば、毎日楽しく練習できるのですが。。。その日が来るまで、毎日地道に練習するしかないですね。

 

やっちまったよ、すっぽかし!

3か月に一回、歯科でクリーニングをしてもらっています。ですが、なんと今日、すっぽかしてしまいました!

5日前に18時で予約を入れました。しかし、次の日、知人から相談したいことがあると連絡があり、歯科に行く前に会うことにしました。

この時点で、「歯科に間に合うかな」と少し思いましたが、「まぁ、たっぷり時間はあるか」と思いなおしました。

前日、やっぱり間に合わないんじゃないかと思ってきました。で、歯科をキャンセルしようと思ったのですが、前回、コロナでキャンセルしてしまった前科があるし、2日前にキャンセルして、歯科衛生士さんの予約がぽっかり空いたら申し訳ないと思って、思いとどまりました。

しかし、予約日の当日朝、「やっぱ無理なんじゃね?」と思ったけれど、今更キャンセルするのも、申し訳ないし、知人との話を切り上げて行けば大丈夫と考えなおしました。

で、知人に会って、実際に話を聞いて、やっぱり長引きそうだと思いましたが、今更キャンセルするのはとても無理だと思いました。

で、今話を切り上げないと間に合わないという時間になりました。けれども、知人の人生を左右する話を無碍にはできませんでした。しかし、ここはどうしても切り上げなきゃいけないと思って、予定より10分遅くなってしまいましたが、退出して車に乗り込みました。

Google Mapで確認すると、やはり予定時刻より10分遅れそうです。私は愚かではありますが「車をぶっ飛ばすぞ」と考えるほど愚かではありません。そして、「何かの偶然で早くなるかもしれない」という何の根拠もない望みを抱きながら、「間に合いますように」と祈る気持ちで運転しました。

しかし、予定時刻を過ぎても、まだ着きません。歯科医に連絡を入れるべきなんだろうけれど、とても怖くてそんな気になれません。

すると、プルルルルと電話がかかってきました。あわわわわ、もちろん、歯科医の方からです。しどろもどろになりながら、10分遅れる旨を伝えると、「時間がないときちんとクリーニングができないので、今日は無しにしましょう。」と言われてしまいました。

ガーン!!!

知人の話もまともに最後まで聞けなかったし、歯のクリーニングもできなくて、踏んだり蹴ったりです。どちらにも本当に悪いことをしてしまいました。

ですが、ありがたいことに次の予約をいれて頂けたので、次回の通院時に、平謝りしたいと思います。

いい大人がこんなことしちゃ駄目ですね。判断力が鈍ってます。

アメリカにミスタードーナツってあったっけ?

ミスドで楽しくドーナツを食べていたら、ウインドウに「Since1955 Boston Mass.」の文字を発見。「あれ?アメリカにミスタードーナツってあったっけ?」と思ってWikipediaで調べてみると

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ミスタードーナツアメリカ発祥のドーナツチェーン店で、全盛期は全米に550店舗を展開していたが、今は消滅したとのこと。

日本では、1971年にダスキンが、ミスタードーナツ・オブ・アメリカと業務提携し、大阪の箕面フランチャイズ1号店をオープンさせ、国内に広めました。

しかし、アメリカのイリノイ州ゴドフリーには、チェーン店としてではなく、個人商店として、ミスタードーナツが1店舗残っているという情報を見て、下記の記事を発見。

omocoro.jp

アメリカに住んでいらっしゃる方が、車で8時間かけて、お店を訪問されていました。店長に会ったり、Tシャツを購入したり、自分もやってみたくなる心地良い記事だなぁと思いつつ、ドーナツを食べ終わり、車で帰路につきました。

車中では、radikoで「村上radio」を聞いていたのですが、Sam CookeのWonderful Worldが流れ、もう気分は、アメリカのハイウェイです。

私もいつかこんな素敵な旅をして、ブログに記事をしたためたいものです。

今思い返してみれば、ミスドって昔はオールディーズが店内に流れていましたね。なので、聞くべきは「村上radio」ではなく、「山下達郎のサンデー・ソングブック」だったかもしれません。。。山下さんと言えば、ドーナツの歌もありますしね。

おやつチケット

先日、犬のおやつとして鹿の角について書いたのですが、実は鹿の角をあげた最初の日に困ったことが起きました。

konpiradog.hatenablog.com

それは、鹿の角があまりにも気に入りすぎて、「返して」と言っても、返さなかったことです。

あまり長い時間、鹿の角を噛みすぎると、歯が摩耗する危険性があります。なので、10分ほどで返してもらおうと思っていたのですが、「返して」といっても、離そうとしません。

元々、柴犬くんは執着の強い子で、おやつの入ったコング(犬のおもちゃ)や、ぴぃぴぃ音が出るボールを返さないことがありました。

なので、まだ子犬のとき、トレーニングしようと、餌を食べている途中に、餌のトレーを取り上げてみました。しかし、餌には何にも反応しません。お利巧に待っています。でもコングを渡すと、私が近寄るだけで、「うぅっ」と唸ります。私の手から渡しているのにもかかわらず、私に取られるまいと必死になります。「いや、私が君にあげたんやで!コングを無理に取り上げたこともないし。」

で、今回も「またはじまった~」と思い、夫と二人で鹿の角を返すように促しました。しかし、柴犬くんの態度は硬化するばかりで、歯を剥きだしたり、吠えたり、もはや、ペットではなく、みるみるうちに獣に変貌していきました。

そこで、おやつをあげて返してもらおうかとも思いましたが、この時点でおやつを渡すと、「吠えたらおやつをもらえる」「脅したらいいことがある」と思われてしまいそうです。

なのでその時は、なかば強制的に、鹿の角を取り上げましたが、明らかに柴犬くんは私たちに不満を持ったようでした。「あいつら、なんで僕をこんなにいじめるんだ!」と思ったに違いありません。

そこで次の日、2人がかりで柴犬くんを追い詰めるような態度だったことを反省し、新たな作戦を練りました。柴犬くんのテンションが高くならないうちに、「おやつだよ」と声掛けして、おやつと交換で鹿の角を渡してもらうことにしました。すると作戦は見事に成功し、柴犬くんは穏やかに鹿の角を渡してくれました。

でも、次の日は思っていたのと違う展開に。鹿の角を渡すと、すぐに返してくるのです。どうやら、「おやつをくれ!」と言うことらしいです。あんなに、渡すの渡さないのでもめた鹿の角を、こんなにあっさり、渡しにくるとは。。。鹿の角が「おやつチケット」になってしまいました。

「鹿の角を持ってきたので、おやつをください」


そして今では、鹿の角を一通り噛んで満足すると、自分から持ってくるようになりました。あんなに返すのを渋っていたのに、今では自主的に持ってきます。ワンコのしつけはやりかた次第ですね。

Frank SinatraのMy Wayという曲について

Frank SinatraのMy Wayという曲をご存じですか?

多くの人にカバーされ、Elvis Presleyや、Sid Vicious、日本では、布施明さんの日本語バージョンも有名ですね。

私は今、この曲をピアノで弾いているのですが、「演奏がAIみたいだ」と指摘されてしまいました(苦笑)。で、勉強のため、この歌について少し考えてみました。

まず、私のMy Wayのイメージですが、「自己肯定」、「壮大すぎる歌」、「カラオケで歌自慢のおじさんが歌う歌」です。それに加えて、「門出の歌」というイメージもあります。中学の音楽の教科書に載っており、私が中2のときに、卒業生に贈る歌として、卒業式で歌いました。

そして、AI演奏から脱するために、実際のSinatraの歌を聞いてみることにしました。それから、歌詞をみると、

  And now, the end is near
  And so I face the final curtain

  さぁ、終わりが近づいてきた
  終焉は目の前だ

とあります。「えっ、これは死ぬ間際の歌だったの?中年おじさんが自分に酔う歌ではないの?」と、歌詞の初めから、想像していたイメージとはだいぶ違います。死を前にして自分を振り返っているのです。

しかし、全ての歌詞に目を通してみて、違和感を持ちました。感謝のことばが見当たらないのです。死ぬ間際なら、普通は周りの人に感謝の気持ちを伝えます。特に、アメリカ人なら、本には謝辞が載っているし、グラミー賞のスピーチでは、いつも「もういいよ」というくらい、たくさんの人々に感謝の言葉を述べます。

感謝がないということは、もしかして、この歌は、周りの人に語り掛けているというより、神様への告白なのではないでしょうか。

日本では一般的に、あの世に閻魔大王がおり、天国へ行くか地獄に行くか、判断されることになっていますが、キリスト教の世界では、最後の審判があります。

あぁ、私は、キリスト教に詳しくないので「オレたちひょうきん族」の懺悔室が頭に浮かんでしまいます。

なので、最後の審判がどういうものかはわからないのですが、最後の審判に向けて、この歌は、言い表しをしているように思えました。

  The record shows I took the blows -
  And did it my way!

  振り返れば 色々あったが
  私は私の道を歩んだんだ

「神様、私はちゃんとやってきましたよ」と。

これは、私の勝手な解釈ですが、色々考えたことによって、今までとは違ったピアノ演奏できそうです。

歌詞の引用元:Webサイト『世界の民謡・童謡』