Frank SinatraのMy Wayという曲をご存じですか?
多くの人にカバーされ、Elvis Presleyや、Sid Vicious、日本では、布施明さんの日本語バージョンも有名ですね。
私は今、この曲をピアノで弾いているのですが、「演奏がAIみたいだ」と指摘されてしまいました(苦笑)。で、勉強のため、この歌について少し考えてみました。
まず、私のMy Wayのイメージですが、「自己肯定」、「壮大すぎる歌」、「カラオケで歌自慢のおじさんが歌う歌」です。それに加えて、「門出の歌」というイメージもあります。中学の音楽の教科書に載っており、私が中2のときに、卒業生に贈る歌として、卒業式で歌いました。
そして、AI演奏から脱するために、実際のSinatraの歌を聞いてみることにしました。それから、歌詞をみると、
And now, the end is near
And so I face the final curtain
さぁ、終わりが近づいてきた
終焉は目の前だ
とあります。「えっ、これは死ぬ間際の歌だったの?中年おじさんが自分に酔う歌ではないの?」と、歌詞の初めから、想像していたイメージとはだいぶ違います。死を前にして自分を振り返っているのです。
しかし、全ての歌詞に目を通してみて、違和感を持ちました。感謝のことばが見当たらないのです。死ぬ間際なら、普通は周りの人に感謝の気持ちを伝えます。特に、アメリカ人なら、本には謝辞が載っているし、グラミー賞のスピーチでは、いつも「もういいよ」というくらい、たくさんの人々に感謝の言葉を述べます。
感謝がないということは、もしかして、この歌は、周りの人に語り掛けているというより、神様への告白なのではないでしょうか。
日本では一般的に、あの世に閻魔大王がおり、天国へ行くか地獄に行くか、判断されることになっていますが、キリスト教の世界では、最後の審判があります。
あぁ、私は、キリスト教に詳しくないので「オレたちひょうきん族」の懺悔室が頭に浮かんでしまいます。
なので、最後の審判がどういうものかはわからないのですが、最後の審判に向けて、この歌は、言い表しをしているように思えました。
The record shows I took the blows -
And did it my way!
振り返れば 色々あったが
私は私の道を歩んだんだ
「神様、私はちゃんとやってきましたよ」と。
これは、私の勝手な解釈ですが、色々考えたことによって、今までとは違ったピアノ演奏できそうです。
歌詞の引用元:Webサイト『世界の民謡・童謡』